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つわりの女性 (2025年5月25日霊想より)

 宣教旅行出発日朝、私は長旅に出かけるので、早く起きてジムで汗を流して帰る道の途中のこと、あともう少しで教会という東我孫子駅の踏切を渡ったところだった。7:19発の上野行きが時間を過ぎても出発しないでいた。車で渡ったところだったので、何があったのか、最後尾車両とホームを見たところ、車掌が降りて、ホームいた女性を看病していた。

 私はすぐ車を止めて近寄ると、女性は嘔吐をしていた。

 それで私は車内のティッシュ箱を持って行って、フェンス越しに渡した。彼女はありがとうと言っていたが、私は車掌さんに、「出発した方がいいですよ」と伝えると、「あと任せていいですか!?」と問われ、「任せてください」と伝え、電車は出発して行った。彼女は顔も髪の毛も服もカバンも嘔吐物まみれであった。私は、一時停止しているワゴン車があるので、フェンスを乗り越えては助けられず、彼女に「そこの駅前の教会で休憩しませんか?」というと、「お願いします」と言って、出口に向かってくれた。私も駐車して妻を呼んでいるうちに、駅に迎えに行った。

 そして分かったのは、彼女は妊娠中だったのだ。彼女は妊娠してあまりにもつわりが酷くて、水も飲めず、入院していた。そして退院して、ようやく職場復帰しようと、自宅がある成田から三河島ある職場まで向かう初日に、朝ごはんを車内で戻してしまったのだ。職場の方々への感謝とお詫びのための菓子折りまで汚れてしまっていた。職場には連絡して休みをもらっていた。彼女の家は成田なので、私もちょうど成田空港からお昼に旅立つのだが、こちらは電車なので送るのは難しい。彼女と妻は自分のつわりの体験の話をして、白湯を飲み、すこし体調が良くなって、「いつでも気持ち悪くなったらおいで!」と励ましつつ、彼女は「ありがとうございました」と恐縮しながら電車に乗り込んで行った。私はこのことでいろいろ考えた。


①人助けに車掌以外誰も降りない。

 彼女は最後尾のドア付近でもどした(三河島駅下車予定だったから)。

 嘔吐した時彼女は自分のマスクと鞄のなかで嘔吐したので、車内を汚していない。そしてそれを車内からボーっと眺めている男女の通勤客。

 多くの人は無関心か、病気になりたくない拒否感か、助けたくても傍観者にしかなれない人が多いのだということに驚いた。ティッシュすら渡さない。車掌がただ一人一度運転席に戻ってペットボトルのお茶を渡そうとしていたくらいだ。きっと母親なら自分の子供をさっと動いて助けるだろう。自分の両親や友達ならきっと助けるだろう。学校クラスメイトが倒れたら、誰かは助けるだろう。でも車内は若干混んでいて、大勢人がいるのに、一様に無言で無関心なのが、私には印象に残った。

 どうしても良きサマリヤ人ストーリーが思い起こされてならない。

 みなそれぞれ事情はある。私も成田空港へ行く予定があって彼女の自宅まで送れなかったし。決して私はその乗客たちを裁けないが、無情で酷な社会と人であることを感じてしまう。むしろ逆に自分がそのような状況になった時にそのまま自分に返ってくるという、この世の理りを知らないのだろうか。


②適応障害

 つわりの強度は女性それぞれなので、一概に言えないが、赤ちゃんを妊娠すると、女性の体内では、この赤ちゃんを異物のように感じてしまうゆえに、激しい体調変化が起こるのだ。いわば適応障害である。安定期に入れば楽になるのだが、第一の産みの苦しみの始まりである。そして出産時第二の海の苦しみがやってくる。 母親は自分の体調の快適さが壊されて、子どものための新しい身体が母子共に形作られるのである。これは自分の努力ではない。ただひたすらに神の神秘的なみわざと、神の一方的な恵みである。適応障害はしょうがない、身体が無理だと言っているから止めてもいいと皆が一様に言う時代の中で、私たちも新しい学校、新しい家庭、新しい教会や牧師や兄弟姉妹、新しい職場でこのような適応障害を感じることがあるのではないだろうか。適応できないと感じ、限界だと感じることが私たちには確かにあるが、実は後に麗しい実を結ぶためのイチ過程なのだと、まず頭で理解し、そして身体が今は受け受けつけなくても、時がくれば、徐々に受け入れられるはずである。

 ある兄弟が私にこう質問した。「会社で適応障害が起こったら、会社を辞めたり転職したりするはずですが、教会はしないんですか?」

 「教会は会社なのでしょうか?私は教会は家族だと考えます。家族の中でも合わない人がいたり、思春期でなくても時に適応障害が起こります。それは起きては欲しくないけれど、必然的に起こるのです。あなたが家族の一員である理由は基本的に血と契約によるものです。両親の血と約束の中で生まれでました。私たちもイエスの血と神の約束の中で生まれ、自分が望んだ家族ではないと感じたとしても、神が置いてくださった家族です。時に分かってもらえないと家出をしたり、反発したり、納得できずに、無視することもあるでしょう。まさに誰しも私たちのうちに起こりうる適応障害であり、発達障害です。でも、時が来ると、イエスの血による家族のありがたみと愛を実感できるのでないでしょうか。放蕩息子ストーリーが思い起こされます。」

 

 ①も②も、出来ない人には出来ないでしょう。また出来なければ出来ないって言えばいいのに!と思う人もいるでしょう。(外目にははっきりしいているので、間違いなく言えた方が本人も周囲も助かるが)

 でも、人間の愛の限界、精神の限界、肉体の限界の先に、神が働いてくださるという素晴らしいみわざがあることを私たちは知っています。出エジプトのストーリーを見ても、アブアハム一族のストーリーを見ても、イエスの弟子たちのストーリーを見ても、みな適応障害と発達障害の中で、もがきながらも、神を信頼し続け、イエスの十字架を見上げて、乗り越え、気づいたら成長してきた人たちです。

 その信仰の故に、彼らは祝福され、長い間語り継がれ、多くの人を励ます者となりました。彼らは決して完璧ではなく、間違いもありましたが、その度に謙遜に神を仰いだのです。

 

マルコ10:27

イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。


今日も一日、神が与えてくださった人々を通して、愛することを教えてください。

 
 
 

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