ゆるし(2025年3月23日霊想より)
- abikoch
- 8月23日
- 読了時間: 3分
「クリスチャンであるとは、赦しがたい人々を赦すことである。神があなたの中にある、赦しがたいものを赦してくださったからである。」
この言葉は、C・S・ルイス(イギリス:1898年~1963年)という小説家が残した言葉です。幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教信仰を持っていましたが、14歳の時に一度無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持ち始めました。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳の時に同じ聖公会(イングランド国教会)の下でキリスト教信仰を取り戻し、数々の名作を残しました。(例:ナルニア国物語)
キリスト者(クリスチャン)にとっては、「ゆるす」ことは当然のことだと頭では理解していますが、実際、自分自身が赦すことの必要性に直面して、はじめて、赦しがこんなにも難しいことなのだと理解し、葛藤し始めます。
「互いに情け深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互いにゆるし合いなさい。」エペソ4:32
≪Aさんの証≫
ある、Aさんはこの聖書の言葉を読んではっとしました。赦せない人がいたからです。その人は電話でひどい悪口を言い、Aさんを中傷しました。Aさんの息子がたまたま電話に出た時、彼にもひどいことを言いました。Aさんがこの聖書を読んだ時に、赦しなさいと神さまから言われた気がして戸惑いました。「あんなにひどい中傷を受けて赦せるはずがないでしょ」と神さまに訴えれば、「そうだね」と神さまが言ってくれると思いました。でも聖書を通して神さまが赦しなさいと言っているように聞こえて、困りました。いや段々心が苦しくなりました。「神さま、赦せと言うけど、私の心はひどく傷ついたんです。神さまご存じですよね。それでも赦せというのですか」
Aさんは<赦さなければいけない。でも赦せない>という思いが心の中でぐるぐる回り、辛い日々が続き、どうしようもなくなり、「神さま、赦します」と祈りました。するとどうしたことでしょう、思いがけなく、心はさわやかなのです。赦せない思いが消え、心が軽くなりました。「赦しなさい」との神さまの命令に従った結果、Aさんは神さまの祝福を受けたことを実感し、心が喜びで満たされました。
クリスチャンでも、「赦しなさい」との神さまの戒めはむずかしいよね、無理よね、と赦さないことの弁解をする人もいると思います。この場合、不信仰の立場に身を置くことになりますし、赦しなさいという神さまの戒めに反抗する罪の中に身を置くことになります。
Aさんが最後まで苦しんだことは、「赦しなさい」という神さまの命令に従おうとしたからであり、これはAさんがキリストと共に新しく生きる人になったことを意味しています。
赦せない自分はキリストと共に死んで、キリストと共に生きる人となり、赦すことができるキリスト者になったのです。だから「神さま、私はあの人を赦します」と祈り、赦せない罪からの解放を得ることができ、経験したの事ない平安が心を満たします。
コメント